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7 generations walk③―自然 

〈自然〉

森の中ということではなく、すべての周りにあるもの。
自然の中を歩いていると、山田さんの言うように「いかに歩きやすいか」は、「いかに生きやすいか」に通じるところがあると思う。

歩いていると感じることは例えば、「アスファルトの上って疲れて)ずっとは歩き続けられない!」「でも、土の上なら山のようにup-downがあっても、歩いた後はすべてが軽い~!」という感覚。
例えば「国道一号線は空気が苦しくて早く抜けたいなぁ」「浜岡原発は上半身が重い」と感じる。道はある側面からみれば便利。だけれども、いかに歩きやすいかを、いかに生きやすいかに置き換えてみると、「やっぱりアスファルトばっかりは生きにくいなぁ」とシンプルに感じる。暮らしやすく、生きやすくするために作ってきたものが、持続可能か、歩いてみるとシンプルに感じられた。

しばらく歩いてみると、都会にいるときは都会の周りに自然があるという感覚。でもそれより大きな大きな、水も空気も生み出しているのは自然で、自然の一部に人の住むところがあった。大地があるから建物も人も立って、森から来る川があるからそこに人が暮らしていた。
開発をして、自然の中で起こっていることは、人にも起こっていることだった。浜岡原発の近くにあった桜は4枚花びらの奇形のものが難しくなく見つかる。聞くとその土地には白血病の人が増えているのだそう。ここでは、原発の立っている地の断層を見せてもらった。展示館では強固な岩盤といわれている層は、触ってみると紙粘土よりもろく崩れてしまった。来るといわれている東海沖地震がきて事故が起これば、東京も名古屋も、数十年どころか何万年も影響を負うことになる。賛成・反対争っているどころではなく、目の前にくるかもしれない命の危機を感じる。
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私たちの上を大きく覆う二重の虹色の日輪、ファイヤーダンスと共に姿を現した満天の星空と富士山、「ヤッホー」 と呼ぶと富士山から返ってくる山びこ、お日様の光・・・
そういうものを見ると、無条件に元気になる。たまたま歩いていたから出会ったのかもしれないけれど、実はいつもそこにあるものじゃないかなっていう話をした。空を見上げていなかったり、スモッグがかかっていたり、いつも立っているアスファルトの下のことを忘れていたり。


みあげてみればいんだ きれいな空を

みてみればいいんだ きれいな川の流れを

きいてみればいいんだ 川の水のころころ渦巻くリズムを


自分の目の前にある川が、今、汚れていても、何も感じなければそのまんま。
もし、きれいな川をイメージしたら、ある人はコップ1杯の汚れた水を流すのをやめるだろう。そうしたら、コップ1杯分川はきれいになるし、その人の心も、小さな生き物も、未来の子どもたちも喜ぶだろうな。心のイメージで、ひとつの行動が変わってくる。

毎朝起きると、違う場所にいる(歩いているから)。ある日は、鳥がいっぱい鳴いていたり、森が動き始める音だったり、雨が降っていてテントがトントンなっていたり、雨が降った後で空気がきれいになってコケが水をつかんでいたり・・・
毎朝が、生まれ変わるみたい。そんな朝を迎える日々は夢の中の様でもあるけど、何日も前の歩いた行程や一日の空の色の移り変わり、話した内容を思いだせる程、覚醒している。

そういう時と場所を与えてくれる自然にありがとう。

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