スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

尊きナースのお仕事 

葉月十二夜。ナースのお仕事のひとりごと。
たくさんの人と場面に、出逢って、体験して、学んで、知識をえて・・・そうすると世の中のことをたくさん知ったかのようになったり、目の前の人のことを理解する素養が自分にあるように思ったりするけれど、本当に目の前の人をちゃんと見れているかな?知識の色眼鏡や、常識の枠をかけて見ていたりすることがある。見ているつもりで見ていないということだ。

そんな色を落として落として、100%命をかけるくらいに関心を持って&集中して目の前の人の、その瞬間の姿をみて、話をきくこと。そうやって、患者さんの前に存在することができているか?

そこに存在している相手と、自分とその思考を、第三者の視点で客観的に認識して、プロセスしているか?

患者さんが素になれる安心できる空間であるか?

自分に問いかけています。それが看護の原論で教えていただいたことでもあり、仕事でもあり、母と子の大事な要素だともおもっています。(とってもシンプルだけど、むずかしいね)



患者さんが
「実は先日話したこと、今まで人に話したことがなくて・・・そうしたらその日から、長年繰り返していた○○の症状がないんです!^^」
とか
「亡くなった○○のことが、引っかかっていたんだ・・・母はこんなひとで・・・話して、(胸が)すっきりしました」と、自ら話して(放して)いってくれることがある。
こういうことを聴けると、上記のような存在として患者さんのそばにいることができたんだな、よかったな^^と思う。追体験をできるように傍にいる、批判しない、評価しないでいると、患者さんも私のようだな~と思うことがあるのです。瞑想のような、自然農の畑のような変化です。みなさんの日常や仕事の中でも、そういうことってありますか?

病気は意識がつくり、意識が癒すという、その瞬間を共にできる尊い仕事だな~と感謝する機会を今日もありがとうございます。素に還られたときの患者さんのお顔は神々しいときもあります!
もうすぐ満月ですね。shanti-

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yuinoaru.blog60.fc2.com/tb.php/229-571cec3b

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。