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革命のときの感情と位置。 

皐月七日。

自分で炊いた青菜がいつものごとく、とてもおいしくて幸せでした。たべて、ねて、だして、笑いあって、生きているだけでも幸せ。

そんな日々の中、ずっと続いていた違和感があった。
日常で生まれる、とても身近な感覚のこと。気がつかないまま、いつものこと・・・と流れていきそうなもの。

外の世界(社会)の不調和とそのメッセージに気がついたら、それと私たちがどういう位置にあるべきかということ。

今、原発の再稼動の波がたち、草の根から革命が起こり始めている。

その波と私はどういう位置にいるのがよいか日々動きながら問うていた。日常の時空間との兼ね合いやら何やらをみながら。
そんな時にした会話から、浮き彫りになった違和感。

私は原発事故で私たちが被爆したと思う前から、地震国日本でそうなる可能性はあると思っていたから、わずかながら祈り・動いてきたし、自然に生き方も暮らしも仕事もシフトしてきた。自分のことだと思ってきた。核のことと出会ったのは、私のこれまでの今生のメッセージであり使命だと思うほどの核心だった。

一方、封じ込めてきたのは、自分のこととして感じていない人への怒りとあきらめ。何度も想いが打ちのめされてくるうちに、あきらめて封じ込めてきた。人によっての相違はあって当たり前のことだけど、受け入れたくなかったことだった。

祈りなら、たぶん何千年も世界で誰かが祈ってきたし、よい(強い?)リーダーに期待して幸せを得ようとする歴史は繰り返されてきた。しくみの原因を知らないままに。その結果が今。
だから、もっと目を覚まして、原因を整えて自然に還ることをできることからするの。
革命は、草の根から。ひとりひとりの目覚めと原因から。

今、火がついたのだから、火事で火がついたら逃げるか何かするのと同じように(聖者はどうするかはわかりませんが)、今動かないで祈ってどうするの~という感じでいる。次世代・7世代先のことを考えても、今ここの原因から未来はつくられる。

そう思っていたから、今日の会話では、私の感じる現実が遠いことのように感じられて、自分に許していない感情が浮き彫りになった。もう、ゆるそう。

今、日本が動いている、世界も動いている。地球はいつもどおり毎秒30キロ移動している。
きっと今週も動く。何が起ったとしても信じ、覚悟し、動けるようにしておこう。被爆している私や家族や私たち(日本)は、それだけのことをゆだねられている気がする。できれば、今一点集中の動きに参加したい。


放射能くんと会話ができたら、なんていって言るだろう?
私たちと同じ、私たちの現れのように思う。
大地のお母さんのおなかにヒトが穴をあけたことで過剰にでてきた。
放射するものが飛び立ち、個を超え、国境を越え、人種を超え、有形無形の存在に多くの感情と影響を与えている。

自然の核は例えば太陽。放射する無限の奉仕の存在。
放射するものたちは、私たちに太陽や意識や愛や放射するものに敏感になれ、私たちもそういうものだって思い出せと伝えているように思う。つながりの中で生きていること、その中でふさわしく生きる叡智を思い出せと伝えているように思う。

とりとめのない話。記録のために。
今日は、仙台で縁が繋がれた記念日。母も協力してくれた。ありがとう。

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