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Firenze―出会い 

26日の夜、alcantuccioのKさんと夫のJさんが、夕食に招待してくれた。
ビーガンの私達のために色々工夫して作ってくれて、それを「限られた中で考えるのも楽しい」っていってくれたのは嬉しかったな。

夕食は
 ・レンズマメのスープとパン
 ・アボガドサラダ
 ・あんず
どれもとっても美味しかった!!料理上手だな~
それに夫婦仲よくって、そんな時間を共にできて私も幸せでした。
朝食の手作りのパンもとっても美味しいんです。Firenzeのパンは塩を使わないって言ってました。ほんのり甘いやさしいパン。


8月28日朝、市場に行きました。観光地化している大きな市場ではなく、町の人が行くところに。R0012402_convert_20080924170341.jpg
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フィレンツェでいただいた野菜はどれも美味しかった!味がいい。それに元気になるのを感じる。

宿のKさんは、日本のスーパーに並ぶ野菜は形がそろっていて気持ちが悪いといっていました。そうそう、自然の中で全ての野菜の形がそろうなんてありえないもんね。全て同じだったら環境が合わなければ、一気に全滅して生き残れない。色んなのがあるからこそ、その環境にあったのもが芽生えて次の世代が生まれるのが自然の法則。日本の農家では出荷のための野菜は、形が悪いものはびっくりするほど大量に捨てている。形がそろう種が売られている(自家採取できない次の世代を生まない種である)。

なんでって…私達が、安いもの、きれいなものを求めるから。

またひとつ、みえていなかったものが、みえてきました☆

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Firenze―街を歩く 

街を歩きました。ヴェッキオ宮PalazzoVecchioからみえた街並みです。ドゥオーモがきれい。
フィレンツェのドォオーモやヴェッキオ宮など今に残るものは、1300年代、人口10万の年が数年の間に築いた。今みてもすごいものを作ったのだから、当時の繁栄は想像以上だろう。
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南に向かうと、シニョーリア広場があり、その奥にある建物はヴェッキオ宮。ここはかつての共和政だったとき議論を交わし、南軍の攻め込みのときもここに軍が集まっていた場所。いくつもの絵画にその当時の情景が表現されている。知れば知るほど、このまりを歩くのも絵画を見るのもおもしろくなる。今までも見たことのあった、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエッロやフィリッポ・リッピやフラ・アンジェリコの絵の背景がここに来て本当に見ることができた。感動!今も役所としてちゃんと使われている。
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ヴェッキオ橋Ponte Vecchio.
アレノ川にかかるフィレンツェ最古の橋。13世紀にも市場としてこの上には店が並んでいたらしい。今は宝石店などが並ぶ。かつてローマ軍やヒトラーなどが歩いたというのは遠い話。ウフィツィ宮とピッティ宮を結んでいる。
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ピッティ宮。かつての商人が建てたものをメディチ家のコジモ1世が売却し、今の姿になった。庭園が広くて美しい。
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18時。ドゥオーモのクーポラにのぼる。らせん状に続く階段をひとりで登った(Gさんとは午後は別行動)。“冷静と情熱の間”のシーンを思い出しつつ、聴いていた景色と同じものをみてみたいというドキドキを胸に登った。とってもいい風が吹いていた。
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ドゥオーモのクーポラの内側にかかれた“最後の審判”のフレスコ画
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この街はレオナルドでもダヴィンチでもなく、ブルネッスキに設計された教会や広場が美しく残る街だって知った。

Firenzeフィレンツェ―8月25日 

 ハプニングの後、17:30。三泊するalcantuccioに向かう。街の観光地へも歩いていける距離にある、少し静かなところにあるB&Bで、日本人の女性とイタリア人の旦那さんが経営しているきれいな宿だ。彼がイタリアに旅行をしていた4年前に、フィレンツェでその女性と出会っていて今でも連絡を取っていたため、紹介してもらっていった。

「日没は20時くらいだから、今から出かけるならフィエーゾレの丘がおススメ」といわれた。私は知らなかった場所だけど、Gさんはフィレンツェの観光のことは調べていないのにその丘のことだけは友人から聞いて行ってみたかったそうだ!これは行くしかない!

FIesoleはフィレンツェの町からバスで30分くらいの小さな町。終点だから間違えない。

町の起源はヘレニズム文明期(紀元前4世紀末〜紀元前3世紀初頭)にまで遡ります。城壁跡やエトルリア神殿跡、浴場、ローマ時代の劇場などが今なお見られ、エリア内の博物館には数多くの発掘品が所蔵されております。今は高級住宅街。

R0012368_convert_20080924142452.jpg 浴場の遺跡

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バスを降りたら坂道をのぼります。

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教会があります。

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フィレンツェの夜景。中央がドゥオモ。

ここからの景色と風が最高。

この後2日、街の歴史と建築と美術とに触れた後、また来たくなった。3日目の日没も、ここでみたんだ。

ちなみに、人は少なくてひっそりしているので、デートスポットらしく、カップルが寄り添っているよ。この夜景を好きな人と一緒に見るのは素敵だな。

 

 

Firenzeフィレンツェ―到着とハプニング 

8月25日、ミラノマルペンサ空港到着。そのまま3泊する予定のFirenzeにinter cityというユーロスターほどは早くない電車で向かう(時間があるのと金銭面の節約のため)。
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一緒に行ったのはGさん。私よりかなりお姉さまの、経験豊富な女性。ひょんなことで一緒に行く事になったのだが、この後時間を共にするにつれて、彼女とは幾度も運命的な巡り会わせをお互いに感じることになる。そのことは、また別に日記に残そう。

彼女は、フィレンツェの後一緒にアルプスの谷に行く日本人4人のうちの一人。私は安い便を選ぶとその便しかなかったのでアルプスに行く4日前の飛行機をとっていた。出発一週間前、旅の話をしたら、何と同じ飛行機であることに気がついた!「飛行機で会えますね」と話していたら、飛行機に乗り込むと通路を挟んで隣席!
そんなこんなで、彼女はアルプスに行く前の数日間の予定を立てていなかったため、私が計画していたフィレンツェに行くことになり、私は過去に英語を話す機会がなかったのに海外を旅するという苦しい状況を助けられることになった。

フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に最終的に着きたかったのだが、電車の乗っていて見た駅は「Firenze・・・」という違う名前の駅。「ここで降りるのどうするの!」と困って、近くにいた乗客に聞いたけど、イタリア語の早口で説明してくれるからなんとなくしか分からない。この駅ではないといっているのは分かったので、そのまま降りずに乗っていたら、次の駅まで30分位停車せず、Pontassieveという別の町についた。第一のハプニング発生!!(後々気がついたのは、「この駅ではないから、地下を通って乗り換えて」といっていたのだ)

同じ車両に乗っていた、他の英語を話す乗客二人も同じ状況だった。ちょっとした仲間意識が芽生える。どうやったら戻れるかと駅員に聞くと、次に出る各駅停車に乗れば最終駅がフィレンツェだという事。15:13分発、フィレンツェに着いたのは16:45。ハプニングのおかげでプラス2時間半の長旅になった。各駅停車からみるイタリア中部の丘や町並み、自然は新鮮できれいだった。Gさんともこの旅までは挨拶程度しかしたことがなかったのだけど、色んな話をした。
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最初は、その状況にあせり、予定どおり行かないイライラを感じた。そう、日本にいた頃は、予定をきっちり決めることが多かったし、割と多くの事を思ったとおりに進めていた。そのコントロールができないときにイライラを感じる自分にも気がついていた。

旅の初めでこの経験をして、その後の旅に余裕ができたと思う。
“人生ってそんなもんだ。色んなことがある。コントロールしようとするから、何かを期待するから、あせったり、左折を感じたり、イライラしたり、怒ったりする。その時その時を楽しめばいいんだ”って思った。










一ヶ月のヨーロッパ 

一ヶ月のヨーロッパのたび。

今までの人生で一番長い、旅。
仕事をいていた4年間の間、約1週間の連休を使ってバリや台湾にリフレッシュの旅に行った。その頃から思い描いていた旅があった。

ひとりで歩く、人と出会う、歴史と出会う、自然に入る…
海外の旅ならではの、異なる言語、生活、食文化、生活、経済価値…

その思いが強くなるのには、人とのつながりがあった。

 高校の友人の一人は洋楽・洋画が好きで、何かと本州・日本をとび出していた。その友人の価値観、どこで何をしているのかはいまだにきになる。
 大学のときは学生ならでは、多くの人が海外旅行をし、私も流れに乗って韓国、アメリカ、ギリシャ、イタリアに観光旅行&短期留学。そんな中でも特に惹かれた人がいる。インドにひとりで旅をしていた先輩、アジアをバックパックで歩いた後輩。屈託のない笑顔ではなす、旅の話が大好きだった。
 卒業後、JICAでジンバブエに行った友達。言語、経済状況、時間の価値観などかなり異なるところで、任務を終え帰ってきた。もともと人を惹きつける人だけど、さらにきらきらしていた。
 ヨーロッパで一年間勉強してきた彼。彼全部が素敵なのだ(笑)けど、彼の人とのつながり、楽しみ方は複雑じゃなくシンプルなところは素敵だ。

なんだか私が惹かれていった人たちは、私が感じてきていた、職場の階層、ご近所付き合い(そういうものに意味があるのも分かるが、変な形だなと感じていた)、こういうときはこうしなければいけない、そんな枠をもっていないように思えた。彼らの見てきたものを見てみたかった!

そうして、8月24日、旅に出た。何が起こるか、どんな出会いがあるか、わくわくしながら。

9月21日帰国。旅をした時間と経験はかけがえのないものだった。日本に帰ってきて、何かが変わっているわけではない。でも、自分の中に変化とたくさんの喜びがある。

旅をして見えていなかったものがみえ、みたことのないものに出会った。
地球という宇宙の中のひとつの惑星で大地を共有しているという事、それがかけがえのないものでありがたいものであるという事を感じた。
見えてきたのものは、私自身でもあった。成り立ち、体の形、声の大きさ・質、メンタル、色んな状況での感情の動き、体の反応。自然の中で体をクリアにする時間での変化は特に大きかった。

また、歴史が作り上げてきた文化や習慣や人々の価値観、それが良くも悪くも今の社会を作り、経済をなし、環境問題、格差や病気を作っているということ。

行った場所の事、思ったこと、少しずつ、書いていこう☆
















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